仲間と書いて「とも」と読む。


Ciao!! Ristorantino SUSCIのスッシーです。

今回は料理ネタにしようと思ってたんですよ…
しかし コレからブログを進めて行く上で絶対絡んでくるメンバーがいるので まあ先に出しちゃおうかと

唐突ですが皆様にとって「友達」って何ですか?

イキナリ ウザい質問かもしれませんが

小さい頃 電車とかバスとかでたまたま隣に座った子と話しをして チョット会話が弾んで… たまたま降りる駅が一緒で… 近くの公園に自分の友達がいて「お~い 俺の友達を連れて来たから一緒に遊ぼう!!」「えっ俺のコトもう友達って呼んでくれるの?」というような流れ…
皆さん心当たりはありませんか?

俺はあります( ̄▽ ̄)笑

まあ子供の頃のそんな美談は置いといて…
例えば今の年齢で飲み屋のカウンターで隣で飲んだ人と意気投合したとしてもイキナリ「友達」呼ばわりはしないわけですよ…

では「友達」とは…?

学生時代 父親によく「困っている時に助けてくれるのが本当の友達 それ以外は知り合い…」「そういう友達を何人作れるかがお前の人間的魅力だ」
などどコトあるごとに言われ 学生の時の俺は「ピン」と来なかったんですよね…
「いや 友達だろ…」って思ってましたから…

やがて社会人になり… 実は俺 最初はサラリーマンだったんです… 料理人も別になりたくてなったワケじゃないんです

今となっては笑い話にできますが そこで大失敗をやらかしまして… 今までの人生の中で一番ドン底に叩き落ちました…
まあ 誰のせいでもなく 自分が招いた結果なので仕方ないコトなんですが… 当時の上司 同僚… 助けてくれる人は誰もいなく… 連絡をくれる人は誰もいない… まさに「孤独」でした…
そんなこんなで会社を辞めお世話になったのが 前述の「Ristorante AIUEO」です。

もうホント「拾って貰った」という言葉がピッタリなくらいの感じでしたが…

当時の俺荒んでましたね…笑

接客業なんてほとんどやったコトがなくて ママさんの言ってるコトは「何でそんなことまで やらんといかんの?」と思うコトばかり… オーナーはオーナーで入って2日目の俺に「コレ食え 高野豆腐…美味いぞ!!」と言って「掃除用スポンジ」を俺に食わせる… で周りは大爆笑!!(このネタは未だに語り継がれています…笑)
精神がイラついていた当時の俺は「何なんだコイツラは!!」とフラストレーションが溜まりまくり… 毎日毎日カリカリしていて そんな俺を見て笑っている周りのメンバー …ホント意味不明でした…

その中のメンバーの一人がこの男…

当時AIUEO平針店長。
現在は独立してタイ料理店「バンコク酒場ナンファー」のオーナーを務めております。

http://blog.livedoor.jp/nisio2009/

今はお互いの店が近いので自分はしょっちゅう出没してます(笑)

そしてもう1人…

手前の方ですが… Ristorante AIUEOオーナー夫妻の息子で 現「店麺多房あいうえお 」若社長
俺が入った時は違う仕事をしてましたが3号店を開く時に入社。
彼は高校を卒業してイタリアに渡り修行。
初めて彼のパスタを食べた時 AIUEOの味と全然違って「コレがイタリアのパスタの味か…」と衝撃を受け ある意味スゴく悔しかったコトを覚えています… ある意味この男のパスタを食べたから「1回イタリアに行ってみたい」と思ったのかもしれません…

年齢的には一応俺が1番上何ですが 何せキャリアは俺が1番下っ端… 2人共一切気にしてる様子はありません…( ̄▽ ̄)笑

そんなオレ達に共通してる趣味がありました…
「バス釣り」です。
仕事が終わってから夜な夜な釣りに出かけ ひどい時にはほぼ徹夜… 俺は結構寝ないとダメなんで次の日ヘロヘロ^^; 更に俺の家で飲んでて 当時俺はあんまり酒に強くなくて2人はメッチャ強くて 俺はゲロゲロになって仕事できない状態で オーナーに大目玉食らいました( ̄▽ ̄)笑

そんな中でオレ達に転機が…3号店をオープンする時にとある岡崎の石材の会社と手を組んで出店したんですが その会社の会長さんが何と「アンコールワットの外壁の修復」をされた方でタイの名誉国民… その縁で「愛知万博」にTG(タイ国際航空)が出店する時にAIUEOのオーナーが日本側の責任者を任されるコトになりました…

そしてその前哨戦?として「浜名湖花博」(皆さん知らね~だろうな~笑)からAIUEOが参加するコトになり 先ず息子がタイに渡り修行を始めます。

そして浜名湖花博突入… コレがなかなかキツかった… 先ず浜名湖花博自体がイベントとして盛況ではなく(怒られるか?) 又 出店のゾーンが良くなかった… 出口の近くで ほとんどのお客さん入り口付近の飲食ブースでほとんど食べてしまってコッチの方には全然来ないという 場所によって天と地程の差が出てしまった…そんな中で売り上げも全然行かず… 組んでいた会社とのイザコザが起こってしまいました… 更にタイ人のコックは唯一言葉が分かる息子にワガママを言いたい放題…くだらないコトで夜中だろうが何だろうがイチイチ電話をして来て息子は夜中の2時でも自転車で飛び出して行ったり タイ人が休みの日は休みで「どこか連れて行け」だの「アレが欲しい!!買い物に連れてけ!!」だのワガママ言いっ放し…
俺が見ても彼が疲れきっているのが分かりましたが… 俺は俺でメンバーが少なくなった店を営業するのが結構シンドかったです…

更に追い討ちが… 花博が終わる頃にTGが名古屋 栄でタイ料理店を出すコトにその為 今度はナンファー店主がタイに修行に行くことに… これを機に2人はタイ料理へと転向… 俺はAIUEO本体に残るという図式ができました…

そして「タイ料理店をやる前に1回みんなでタイに行くか?」というコトになり みんなでタイへ…
その時に俺のタイ好きが開花しました( ̄▽ ̄)笑

もう メッチャ楽しかったですね~( ̄▽ ̄)笑

食べ物も今まで食べたコトない物ばっかり

もうどハマりしました…

そして名古屋 栄 住吉通りにタイ料理店「クッキ ヌードルズ」が開店… そして「愛知万博」もスタート
愛知万博は浜名湖花博と違って大盛況!!
タイ好きがスパークした俺は何とかタイとの繋がりを持っていたくて自分の休みの日に無償で万博に手伝いに行ったり独学でタイ語を勉強し、又 クッキ ヌードルズで働くオカマのタイ人を俺の家に下宿させたりした(幸い俺はヤツの趣味ではなかったみたいなので無傷です 笑)… 自前のタイシルクのシャツを着て(この辺にタイ好きが伺える笑)ココナッツジュースやパイナップルキャンディを売りまくり 今まで不良在庫化してたこの商品を「俺が行ったら在庫が無くなる…」という状態にまでして あまりに俺が売りまくるのでタイ側の責任者が「タダで働かしては申し訳ない…」というコトでアルバイト代が出るコトに
愛知万博はホントに楽しませてもらいました…

そんなオレ達3人に第2の転機が訪れます。

まず、前回の話しの通り俺がイタリア行きを決意します…

正直俺は 色んなコトが起きる そしてできるAIUEOのシステムが楽しかった… そしてオーナー ママさんも「オレ達3人の中でヤル気のあるヤツにAIUEOを継いでもらいたい…」そんな話し迄 出ていた…

しかし俺はイタリアに魅せられてしまった…何としてもイタリアに修行に行きたかった… 「自分の人生を変える又とないチャンス」だと思った…

そして もう1つ俺が引っかかっていたのは オーナーやママさんがいかに「オレ達3人の中でヤル気のあるヤツ」と言えど本心は息子に継いで欲しいだろう…飲食業を全然やっていないと言うなら話しも分かるが 実際やっていて腕もアイデアもある… なのにわざわざ他人に継がせることなどないだろう… オーナー ママさんにしてみれば 「オレ達2人にもチャンスを与えてくれた..」というコトだろう…

そして俺は息子に電話をして「実は俺イタリアに行こうと思う…オーナーとママさんだけでは店を回すのはムリだと思う… 悪いけどコッチに戻って来てくれんかな?」と伝え息子は「分かったチョット考えさせてくれ」とだけ言った…
次の日の朝 ママさんから「なんか昨日イキナリ息子から電話かかってきて 戻って来るって言うんだわ~ どうしたんかね…」と…

俺は「スマンな… ありがとう…」心の底から思った…

そして俺はAIUEOを退社してイタリア行きの資金とイタリア語を勉強する為に1年間違う仕事をするコトに…

そして次はナンファー店主の彼に転機が…
「クッキ ヌードルズ」はAIUEOだけでなくヨソの会社との合同出資でそことの折り合いが悪くなってしまった…
今更なコトだしこんなとこで悪口も言いたくないし ドッチがワルイというのも判断つきかねるのでそこは割愛しますが、クッキ ヌードルズは閉店するコトに…彼にとっても決断の時が来てしまった…

そして彼が取った道は「独立 開業」
こうして奇しくも俺がイタリアに旅立つほぼ同時期に愛知県西尾市に「タイ料理 ナンファー」を開業することに…

こうしてオレ達は各々違う道を歩み出しました…

そこからなんだかんだで俺はイタリアに6年いたワケですが なんだかんだで1年に1回は日本に帰ってきててその度に2人に会いに行ってたんですが…
3年目当たりから「いつまでイタリアおんの? 帰ってきて早よ開業しや~」と結構言われ続け…(笑) 俺の中にも「俺の店で俺の料理で勝負したい」という気持ちと「イタリアにずっと居たい」という両方の想いに揺れ動くコトになりますが、
「自分の店を出したい」という気持ちにウソは無かったので「自分だったらこういう店をやりたい」というコンセプトやメニューは常に考えていましたし「Ristorantino SUSCI」という店名はイタリア在住2年目で既に決めていました。

そして6年後やっと帰国した時に偶然ナンファーが西尾市から名古屋市に移転すると…
そして店の片付けを手伝いに行った時に…もうガラガラの店を見て 「何か勿体無いな…俺が後 やろうかな?」とふと思ってしまった… そこで資金集めを開始… 俺にとって最大のネックだったのがイタリアに6年いたコトでの「日本での信用の無さ」でしたが 幸い俺が帰ってきた2ヶ月前から融資の条件が緩和され 「日本での信用の無さ」を逆手に取って「イタリアでのハク」にすり替えた…

そうなってくると自分のやりたいコンセプトは西尾市ではなく やっぱり名古屋市だったので 名古屋で店探しを開始… 西尾市の店は申し訳なかったが俺に開店のキッカケを与えてくれたのは間違いなく彼だ…

彼に開店におけるアドバイスをもらい又 息子には業者を紹介してもらったり 夜中遅くまでメニュー作りや買い出し… そして最大は色んな買い出しの為に3人でタイへ…(笑)

「何でタイやねん!!」と思われるかもしれませんが タイって兎に角物が安いんです!!
最大の収穫はコイツ!!

今やウチのシンボルと化してますが「タイ製」です

そして2人の助けもあって 何とか開業に漕ぎ着けたワケです…

ハッキリ言って2人が手伝ってくれなかったらオープンできなかったし そもそも「開業」してなかったと思う…

俺達3人性格はバラバラだけどだからこそお互いの持ち味があると思う…

そして何より近いが故に「負けれん…」
という思いがある…

身近にこういう2人がいるコトは俺にとって本当にありがたい… 情報も交換できるし 自分への戒めにもなる…

何より「お互いを高めあって行ける…」2人がどう思ってるかは知りませんが(笑)

オレ達3人なかなか全員曲者ですが結構
「無敵」
だと思ってます

10数年の時を経て奇しくもオレ達全員「経営者」
となりました…

タイトルに戻すと 俺の中で「友達」というのはただ単に遊んだり飲みに行ったり楽しいコトを共有するだけでなく 辛い時… 困ってる時… 何も言わず助けてくれるヤツら…
そして時には「強敵」と書いて「とも」と読む
北斗の拳的な…

「仲間」と呼べる連中が俺にとっての「とも」です…

まあ そう呼べる連中に出会えたコトが俺の人生の収穫でしょう… 今なら親父の言ったコトが分かりますわ…

名古屋で本物のタイ料理が食べたい方は
「バンコク酒場 ナンファー 東桜本店」へ…
https://m.facebook.com/nf240

創業36年 大盛り創作料理が食べたい方は
「店麺多房 あいうえお」へ
http://www.e-aiueo.com/

そしてイタリアンが食べたい方はもちろん当店…「Ristorantino SUSCI」へ…

三者三様皆様のお越しをお待ちしております。