SUSCIのイタリア話

I vini (ワイン)というもの…2

前回のブログから大分間隔が空いてしまいましたが…^_^;  昨日Montepulciano d’Abruzzo の生産者Barone Cornacchiaのオーナーの来日セミナーがあり久しぶりにイタリア語を喋り気分が乗って来たので久しぶりに書こうと思い立ちました。

今まで幾つかのセミナーに参加させて頂きましたがイタリアは家族でワイナリーを経営されている方々が多く 皆それぞれ父 祖父への尊敬 感謝の言葉を口にします。それだけ 自分たちの仕事 家族に誇り信念を持って取り組んでいます。 その志しは尊敬します(^^)
そんなワイン達ですが 話しをイタリアに戻しますが 私イタリアで毎日飲むのは当たり前 1日2本くらい飲んでいましたが…

結構嬉しかったり勉強になったのがイタリアお客様が注文されたワインを結構残されて帰られます。 1/5とか グラス半分位とか… 私最初に働いていた店でそういうワインは全て私の元に来るようなシステムを作り上げておりました( ̄▽ ̄)笑一緒に働いていたメンバーですが イタリア人達常にお腹を減らしており よく「スッシーお腹空いたからなんかくれ!!」と言ってきます。仕事中なので日本では考えられないコトですがTorattoriaレベルの店では珍しくもなんともありません( ̄▽ ̄)

私も最初は腹が立っていましたが そのうち感覚が麻痺してきてチョコチョコあげていたんですが そのうちみんな自分がワインいや酒好きなのを認識しだして「スッシーコレお客さんが残したからあげるよ」と自分の所に持ってきてくれるようになり そうすると結構いいワインが飲めたりしていました。 そのうち「セレナおいでおいで」とホールの女の子を呼び「な〜にスッシー?」「俺 喉が渇いちゃった…」「スッシー私 お腹減った…」すっと肉を出す自分… 「ニヤっ…」と笑うセレナ トコトコと何処かに行って帰って来る彼女の手にはワインボトルが…「サルーテ」(イタリア語で乾杯の意味)とグラスを合わせカウンターの下で隠れて飲んでいたものでした( ̄▽ ̄)私

そんなこんなで色々なワインを飲めて美味しかったりするとホール長のヤツに「コレ美味いね」「あ〜コレはイイワインだぞ」と色々教えてくれ「コレは隣の町で作ってるワインだぞ」「へ〜あんなとこでワイン作ってるの?」と色々と知識を深めていきました。

スーパーでも手頃な値段のワインは片っ端から買って行って あらかた飲み終えたら違うスーパー又 違うワイン屋と品種や産地を頭に叩き込んで行きました。

そしてイタリア語もチョット話せるようになるとワインショップの人と話したり前述のFrascatiなどの産地に赴き自分なりの知識を深めていきました。

そしてココで一大決心をし遂に愛する慣れ親しんだローマを離れることになります。

ココで又 ワインへの知識が膨らむコトとなります。

次回は「北イタリア編」をご紹介します。

I Vini… ワインというもの…

皆様 ワイン🍷はお好きですか?
私は大好きです( ̄▽ ̄)笑
イタリアにいた頃は一時「毎日2本」飲んでました。 赤白スパークリング問わず ビールはコーラの扱いでした

しかし そんな私も最初から飲んでたワケでは無く
イタリアに行った当初は どちらかと言うとビールを飲んでいました。
日本にいた頃は あんまりワインを飲みつけてなかったのと やはり値段が高かったのが原因でした。

しかしイタリアに渡りそこらのスーパーでも2、3ユーロ(300〜400円)で普通に美味しいワインを売っているので だんだんワインにシフトしていき イタリアに渡って2ヶ月後には ほとんどワインを飲むようになっていました。

そうしているウチに葡萄畑🍇やワイナリーを見たくなり、当時一緒に働いていた日本人の子と一緒にとあるワインの産地に行く事にしました。
それがローマの南東にある街「Frascati」(フラスカーティ)です。

Frascatiのワインは日本で働いていた店でも使っていて 「その産地に自分が来る事になるなんて…」とまだまだイタリア生活に慣れていなかったので感動したのを覚えています。
何より感動したのが「前菜の盛り合わせ」
もう「ワイン飲めや!!」と言わんばかりのラインナップ!! 雄大な景色を見ながらキリリと冷えた白ワインを飲みながら 小高い丘の坂の途中にある店の外で食べる。

この気持ち良さは格別で「これがイタリアの生活だ!!」と感動したのを覚えています。

この時の体験がキッカケで 今の自分の店でも前菜にこだわるようになり「イタリアの前菜セット」「シェフのおまかせ前菜セット」魚介の前菜セット」などをメニュー化しました

自分が開店した理由の1つがエラそうな言い方かもしれませんが「ホントのイタリアの生活を知って欲しい」というコトにあります。
ウチに初めてお越し頂いたお客様がよく言われるのが「ココはコース料理じゃないんですか?」とよく言われます。

それに対する僕の答えはいつも「お客様イタリア料理はコース料理じゃありませんウチはグラスワイン1杯生ハム1枚からオッケーです」
といつも言っています。
ウチの周りでもコース1本やっているお店が多いですし ウチも頼まれればやりますが基本はアラカルトです。
自分の店のコンセプトとして「イタリアンに行くということはパスタとピザを食べるコト」というイメージを払拭したいというのがあります。

こういう前菜をワイン片手に楽しんで最後はメイン料理… それが僕のイタリアでの食事のスタイルでした。 夜は殆どパスタを食べませんでした…そういうワイン🍷を片手に気軽に楽しめる店にしたいと思っていますが そこで生まれた当店の問題点が「前菜に凝りすぎてパスタを食べたらお腹いっぱいになってメインが出ない( ̄▽ ̄)」
という… なので最近 全体の量を少なくして単価を下げ お客様に色々楽しんで頂けるようにメニュー変更しました…

チョット話しがそれましたが…話しをワインに戻しますが…
ワインというのは本当に奥深い物で同じ品種の葡萄でも育て方 生産者の違いで幾らでも変化します… 当初俺はあまり深く考えず殆ど「ラベル丸覚え」という状態で それでも自分で料理を作り マリアージュを自分なりに感じていました…
そんなやたらめったら飲んでるだけの自分に衝撃を与えてくれた人物がいます…

彼女とはイタリア修行の2年前行ったイタリア旅行でお世話になった施設で出会いました… 俺は10日間の旅行で彼女は3ヶ月の短期留学で来ていました 数日話しただけで俺は帰国し 特に連絡も取ってなかったんですが… その後イタリア🇮🇹に渡りFacebookが日本でも流行り出した頃 ある日一件の友達リクエストとメッセージが…
「2年前イタリアでお会いした方じゃないですか?」と…
俺は「お〜懐かしい!! よく俺のコトなんか覚えてたね?」 と そこからチョコチョコ話しだし なんと彼女は3ヶ月のイタリア滞在中にワインに目覚め 帰国してからソムリエになったとか… 「マジで??? そりゃスゴイね!! じゃあ俺が帰国する時にお店に行くよ!!」というコトになり
東京にいるイタリアで一緒に働いたメンバーと会いがてら彼女が働いてる店でランチを食べたんですが…

その時の彼女のワインの知識 内容にビックリして 「たった3年位で どうやったらこんなに変わるんだ???」と心底驚きました… そして彼女が俺に言った言葉「俺は料理を作れるんだから俺がワインの知識を身につけたら もっとすごいコトになりますよ」
彼女に言われたこの言葉がキッカケでそれからワインを「考えて飲む」ようになりました…
彼女との出会いがなければ今の俺の考え方は無かったかもしれません… それだけ俺の人生に影響を与えてくれた一言でした…
それから日本に一時帰国する度に皆んなで会って話したり 1度 仕事でイタリアに来た時に一緒にボルゲリ モンタルチーノ サンジミニャーノなど当時の自分が出来る力をフルに使って あの時の恩を返したつもりです。

そこから俺のワイン駄々のみ生活が始まります( ̄▽ ̄)
詳しい話しは 又 次回に…
Ciao alla prossima A presto!!

アマトリーチェ村のアマトリチャーナ

どうも 名古屋市池下にある「Ristorantino SUSCI」です!!
イヤ〜前回のブログから大分 開きましたね…

6月6日におかげさまで「1周年」を迎えさせて頂きました
個人的にもお店でもイベントが多く ブログをアップする余裕がありませんでした…

イベントの内容としては お見合いパーティ「Cerca Amore チェルカ・アモーレ 愛を探して…」
イギリス人で ワインセミナーをしている方のワイン会…
「日本酒と合うイタリアン」

そして自分の中でも 特に重要だったのが「日伊協会さんとモンテ物産 主催のワイン展示即売会」にお料理を提供させて頂いたこと…

数ある名古屋のイタリアンの中から ウチにお声をかけて頂いたことを 非常に名誉に思います

さて 前置きが長くなりましたが… この時にイノシシの頰肉「グアンチャーレ」を大量に買いました。 「世界一ローマを愛する男」の私としてはグアンチャーレを使う料理で「アマトリチャーナ」を外すわけにはいきません

そんなワケで作りましたよ!!

一般的には上のトマトソースがポピュラーですが
アマトリチャーナ発祥の地「アマトリーチェ村」には トマトソースじゃない「Bianca」(白)が存在します。 この白アマトリチャーナ ローマにあるレストランでもメニューである所は そんなにありません…

この白アマトリチャーナの存在を知ったからには やはりローマを愛する自分としては 食べてみたいし アマトリーチェ村に行きたい気持ちが募りました… そんな俺の気持ちを汲んでくれたのが 俺のイタリアン人の親友「ピスケッロ」

彼なくして 俺のイタリア人生は語れない 俺の大事な友達です…
そんな彼が俺をアマトリーチェ村に連れて行ってくれました…

ほとんど隣のウンブリア州との境にある 車じゃなきゃいけない とんでもない山奥でした… カルボナーラや 言ってしまえば他の料理も全部そうですが 要は「イノシシや羊しかいないような所で生まれた料理」なんです… だから そんな所に「トマトなんてあるワケがない…」んです…

イタリア料理といえば トマトは欠かせないイメージがありますが 元を辿れば トマトも「伝来してきた野菜」なんです… だから えてして山奥の古典料理はトマトを使わないものがほとんどなんです…

話しが被るんで先に言っておきますが 私アマトリーチェ村2回行っております…

2回目はイタリアで一緒に働いた友達が「ど〜しても行きたい!!」ということだったのでレンタカーを借りて行きました…

私の夢の1つだったのが「イタリアで車を持つこと」でした…ローマやフィレンツェ… もちろん大好きです… しかし俺はホントのイタリアの魅力は「田舎」だと思っています… 今回のアマトリーチェ村もそうですが「この土地で… こんな風土だからこの料理が生まれた…」 俺がイタリア生活に求めたコトはまさにそこでした… もちろんレストランで働いて料理を学びたい…しかしそれ以上に「なんでこの料理が生まれたのか?」その根本を知る事が俺がイタリアに行った最大の理由なんです… しかしそんな所に行くには 車でないと時間がかかりすぎます… そこはイタリア生活での最大の俺の難関でした…

ですから こうやってレンタカーを借りてイタリアをドライブすることは最高に楽しいことでした…

折角なので 途中「ノルチャ」というイノシシと黒トリュフの産地に立ち寄り…

まあ この男は置いといて…( ̄▽ ̄)笑
俺にとっても非常に貴重な経験をさせて もらいました(^^)

さて肝心のアマトリチャーナですが…
行った2回ともなんですが この「ホテル ローマ」にあるレストランで食べました なんと「ローマ法王」も食べに来たほどのアマトリチャーナが有名なレストランです(^^)

… 普通オーダーを取りにくる時って「何を食べますか?」って聞きますよね?
ところがこの店 第一声が「赤食べる?白食べる?それとも両方?」こんな聞き方をしてきます…

まるでアマトリチャーナを食べるのが当たり前なように… ってまあ 食べに来てるんですが( ̄▽ ̄)笑

そんなんで やっとのおもいで食べたアマトリチャーナが…

写真がメッチャヘタで申し訳ありませんが…^^;
やっぱりイタリアでのパスタの最大の特徴は チーズの量ですよね… これだけ思いっきりかかってるのはチョット日本では お目にかかれないです…
自分も初めて見た時は ホントにビックリしました… お相撲さんが塩を掴むような感じでいきますから… イヤホントに!!( ̄▽ ̄)笑

さて 肝心のお味ですが… ビアンコは初めてココで食べたんで対象比較がないですが メッチャ美味かったです!! グアンチャーレの味がダイレクトに感じられて シンプルでスゴくよかったです!!
ポイントとしては ロッソより グアンチャーレを大きくカットして カリカリになるまでよく炒めてるとこです。

ロッソは本来 イタリアはソースとパスタを絡めるんですが ココはビアンコベースにチョット絡めて 上から更にかけてるって感じでした… 普通より大分マイルドで 普通トマトソースは結構煮詰めて濃厚な感じに仕上げるんですが ココのはサッと作ってシンプルに仕上げていました。 やはり「ビアンコありき」な作り方にしてるんだな〜というのが 僕の感想です。

そんなワケで 現地アマトリーチェ村で見て ローマ時代は死ぬ程作って 考えた 当店のアマトリチャーナ… ロッソもビアンコもできるので 是非 1度食べに来て下さい!!

「炭火焼き」は美味し!!

Ciao!! Ristorantino SUSCIのスッシーですm(__)m

今回やっと料理のコトを書きます

ソレでもまだ チョット「番外編」ちっくですが…

なぜ今回このネタかと言うと…
今日は当店「炭火焼きの日」だからです

どうですか? 美味しそうじゃないですか???

死ぬ程美味しいです( ̄▽ ̄)笑

実は「炭火焼き」は俺が自分の店をやったら「絶対やりたいコト」の1つでした…

ナゼかと言うと 俺がイタリアで最初に働いた店「La Mucca Golosa」で焼きまくっていたからです。

メインは「フィオレンティーナ」と呼ばれる骨付きの牛ロースとヒレ… アメリカ風に言うと「Tボーンステーキ」ですね…

肉屋から牛ロースが丸々一本でくるので
ソレをナタみたいな包丁でバッコンバッコン叩き切ります。

本場フィレンツェのフィオレンティーナは最低1kgからですがMuccaでは700gからでした とはいえ骨付きとはいえ700gの肉を1人で食べ切るのはさすがイタリア人です…

日本では当たり前の様にシェアして食べますが イタリアではほとんどシェアはしません… せいぜい味見程度です「食いたきゃ自分で頼め!!」ってコトなんでしょうね…

日本ではシェアするのが当たり前のピザも1人一枚です

日本みたいに小さいピザではないので もうオッさん化した自分では1人で1枚食べるのは不可能です…

チョット話しが炭火焼きとソレますが この店のピザがメッチャメッチャ美味しくて 俺は未だにこの店のピザを超えるピザに出会っていないです…

生地の作り方が一般の作り方と違ってローマ郊外でしたが ペラペラの「ローマピザ」ではなく もっちりした「ナポリピザ」風でした…

この店のメンバーは次回に紹介したいと思います。

話しを炭火焼きに戻しますが…

兎に角 俺はこの炭火焼き「グリル場」をメインにやっていました(後に全ポジションやるようになるんですが…)

兎に角このグリル場 楽しかったですね(^^)
先ず1本なりのロースを包丁で叩き切るなんてこと日本のレストランではやりませんからね…

最初はもちろんうまく切れませんでした… 骨と骨の間に切れ込みを入れて ガンガン切る…
振りかぶって切らないと骨が切れないので思いっ切りやると 的が外れて肉を切ってしまう…
おまけにお客さんが「500g」「700g」と言ってくるので あんまり誤差は出せない…

最初はホント難しかったです…

そして俺がこの「グリル場」好きだった理由が行くつかあります…

先ず1つ…
グリル場は客席に面していて厨房から「独立」していました… なので俺1人で働くコトになっていたので「カウンターの下にワインを隠して飲みながら仕事してました笑」

隠しながらと言いながらも もう「公然の秘密」でみんな知っていました(笑)

普段は厨房で使う安い料理酒を飲んでいたんですが(ソレでも結構美味しいんですけどね…)

イタリアって結構 お客さんワインを残していくんですよ…1/5とか1/4とか…

ソレをホールの連中が俺に持って来てくれるんです…

コッチはグリル場… 肉はシコタマあるんで「ツマミ」には事欠きません…

オーダーが入ったら チョット大きめに切って自分の分も焼いて食べる(笑)

で…ワインを持って来てくれた子にも お裾分けをあげる…

そしたら又 残ったワインを俺に持って来てくれる…

もう残ったワインは全て俺の所に来るようになりました(笑)

ヒドイヤツなんて「あ~スッシー腹減ったな~」とか言いながらボトルを置いていきます
「しゃ~ねえな~ 何がたべたいんよ?」
そんなやり取り日常茶飯事でした…(笑)

もちろんイイコトじゃないですよ… 日本だったら絶対やりませんし…

ただ「郷に入っては郷に従え」で イタリアでの楽しみ方って あると思うんです…

イタリアにいる間に何十人という日本人と働きましたが 結構頭が硬い人が多くて…「こんなやり方はイヤだ」とか「こんなコト日本じゃやらない」とか 結構いましたね… 俺は「じゃ 日本で働けば?」 といつも言ってました…「イタリア… この店では こういうやり方をやっている… ここにいる間はそのやり方をやって 自分がシェフやオーナーになった時に あのやり方がいい あのやり方はダメだって判断すりゃいいじゃん…」と よく言ってました…

そんな訳でか イタリアにいる時の俺はメッチャ弾けてました(笑)

日本ではやらない やれないコトをやろうと思ってましたから…

そんなコトやってたら段々「お前は日本人じゃない!!」とイタリア人にまで言われだし…
俺はむしろその言葉は俺にとって「褒め言葉」となりました…

話しを戻しますが…
あと好きだったのが

この景色…
グリル場から見えるこの景色がホントに好きでコレで「あ~イタリアにずっと居たいな~」という気分させてくれました…

俺は今でもこの町Anguillara(アングイラッラ)が1番好きです…

そして最後に… それは「お客さんと話しができる」コトでした…

ローマ大学に「日本語学科」があって何人かに「アナタハ ニホンジン デスカ?」と言われ
そういう時って結構反応できないんですよ…
コッチはまさか向こうが日本語喋ってくるなんて思ってませんから…

そこで俺の利点は「既にイタリア語を勉強して行ってたコト」でした。

もちろん最初は大して喋れませんでしたが、ソレでも1年勉強してから行ってたので 多少は喋れたので お客さんとコミュニケーションを取れて
一杯奢ってもらったり チップを貰ったりしていました…

そうそうチップと言えば1番衝撃だったのが
お客さんで「マフィア御一行様」が来たんです(笑)

10~12人くらいだったと思いますが…

又 よりによって俺の前のテーブルに座って

注文全員肉!!(笑)

ホールのヤツに「おいスッシー お前失敗したらナポリ湾に沈められるぞ(笑)」
って… 「結構笑えんし…( ̄▽ ̄)笑」

で 心配してくれたのか 俺の1番仲のいいヤツ
「ピスケッロ」

が手伝いに来てくれて 肉を切って行ってくれました…

ソレを焼いて… 食べてる時はもうドキドキでした…何せ目の前で食べてるし…(笑)

「せめて見えない席に行ってくれ…」
ってマジで思いましたね(笑)

しかし何事もなく食べ終わってお会計も終わった時に親分が「お前日本人か?」と話しかけてきました…

俺は「なになになに???」と思いつつ「Si…(
はい)」と返事…
俺の前のカウンターの前にお釣り(40数ユーロあった)を「バン!!」と置いて
「美味かった… チップだ!!」と置いて行きました…

俺は「ほ~っとして」「Grazie mille (ありがとうございます)」と言うのが精一杯でした。

ホールのヤツが来て「スッシーよかったな!!」と言って来たので「チップ貰ったから みんなで分けようぜ」と言うと「ソレはお前が貰ったチップだからお前が全部貰っとけ」と言われ 嬉しかったのとサスガに1人じめは気分が悪いので ピスケッロとその夜飲みに行きました…

それ以来 俺はレストランで食事する時にホールの人がよかった時はその人に直接チップを渡して「ありがとう」と直接言うようにしてます。

そんな俺の思い出いっぱいの「炭火焼き」
毎月9のつく日「9、19、29日」
にやっております。

皆様是非お試し下さい!! メッチャ美味いですから!!

チップ絶賛受け付け中です!!( ̄▽ ̄)笑

仲間と書いて「とも」と読む。

Ciao!! Ristorantino SUSCIのスッシーです。

今回は料理ネタにしようと思ってたんですよ…
しかし コレからブログを進めて行く上で絶対絡んでくるメンバーがいるので まあ先に出しちゃおうかと

唐突ですが皆様にとって「友達」って何ですか?

イキナリ ウザい質問かもしれませんが

小さい頃 電車とかバスとかでたまたま隣に座った子と話しをして チョット会話が弾んで… たまたま降りる駅が一緒で… 近くの公園に自分の友達がいて「お~い 俺の友達を連れて来たから一緒に遊ぼう!!」「えっ俺のコトもう友達って呼んでくれるの?」というような流れ…
皆さん心当たりはありませんか?

俺はあります( ̄▽ ̄)笑

まあ子供の頃のそんな美談は置いといて…
例えば今の年齢で飲み屋のカウンターで隣で飲んだ人と意気投合したとしてもイキナリ「友達」呼ばわりはしないわけですよ…

では「友達」とは…?

学生時代 父親によく「困っている時に助けてくれるのが本当の友達 それ以外は知り合い…」「そういう友達を何人作れるかがお前の人間的魅力だ」
などどコトあるごとに言われ 学生の時の俺は「ピン」と来なかったんですよね…
「いや 友達だろ…」って思ってましたから…

やがて社会人になり… 実は俺 最初はサラリーマンだったんです… 料理人も別になりたくてなったワケじゃないんです

今となっては笑い話にできますが そこで大失敗をやらかしまして… 今までの人生の中で一番ドン底に叩き落ちました…
まあ 誰のせいでもなく 自分が招いた結果なので仕方ないコトなんですが… 当時の上司 同僚… 助けてくれる人は誰もいなく… 連絡をくれる人は誰もいない… まさに「孤独」でした…
そんなこんなで会社を辞めお世話になったのが 前述の「Ristorante AIUEO」です。

もうホント「拾って貰った」という言葉がピッタリなくらいの感じでしたが…

当時の俺荒んでましたね…笑

接客業なんてほとんどやったコトがなくて ママさんの言ってるコトは「何でそんなことまで やらんといかんの?」と思うコトばかり… オーナーはオーナーで入って2日目の俺に「コレ食え 高野豆腐…美味いぞ!!」と言って「掃除用スポンジ」を俺に食わせる… で周りは大爆笑!!(このネタは未だに語り継がれています…笑)
精神がイラついていた当時の俺は「何なんだコイツラは!!」とフラストレーションが溜まりまくり… 毎日毎日カリカリしていて そんな俺を見て笑っている周りのメンバー …ホント意味不明でした…

その中のメンバーの一人がこの男…

当時AIUEO平針店長。
現在は独立してタイ料理店「バンコク酒場ナンファー」のオーナーを務めております。

http://blog.livedoor.jp/nisio2009/

今はお互いの店が近いので自分はしょっちゅう出没してます(笑)

そしてもう1人…

手前の方ですが… Ristorante AIUEOオーナー夫妻の息子で 現「店麺多房あいうえお 」若社長
俺が入った時は違う仕事をしてましたが3号店を開く時に入社。
彼は高校を卒業してイタリアに渡り修行。
初めて彼のパスタを食べた時 AIUEOの味と全然違って「コレがイタリアのパスタの味か…」と衝撃を受け ある意味スゴく悔しかったコトを覚えています… ある意味この男のパスタを食べたから「1回イタリアに行ってみたい」と思ったのかもしれません…

年齢的には一応俺が1番上何ですが 何せキャリアは俺が1番下っ端… 2人共一切気にしてる様子はありません…( ̄▽ ̄)笑

そんなオレ達に共通してる趣味がありました…
「バス釣り」です。
仕事が終わってから夜な夜な釣りに出かけ ひどい時にはほぼ徹夜… 俺は結構寝ないとダメなんで次の日ヘロヘロ^^; 更に俺の家で飲んでて 当時俺はあんまり酒に強くなくて2人はメッチャ強くて 俺はゲロゲロになって仕事できない状態で オーナーに大目玉食らいました( ̄▽ ̄)笑

そんな中でオレ達に転機が…3号店をオープンする時にとある岡崎の石材の会社と手を組んで出店したんですが その会社の会長さんが何と「アンコールワットの外壁の修復」をされた方でタイの名誉国民… その縁で「愛知万博」にTG(タイ国際航空)が出店する時にAIUEOのオーナーが日本側の責任者を任されるコトになりました…

そしてその前哨戦?として「浜名湖花博」(皆さん知らね~だろうな~笑)からAIUEOが参加するコトになり 先ず息子がタイに渡り修行を始めます。

そして浜名湖花博突入… コレがなかなかキツかった… 先ず浜名湖花博自体がイベントとして盛況ではなく(怒られるか?) 又 出店のゾーンが良くなかった… 出口の近くで ほとんどのお客さん入り口付近の飲食ブースでほとんど食べてしまってコッチの方には全然来ないという 場所によって天と地程の差が出てしまった…そんな中で売り上げも全然行かず… 組んでいた会社とのイザコザが起こってしまいました… 更にタイ人のコックは唯一言葉が分かる息子にワガママを言いたい放題…くだらないコトで夜中だろうが何だろうがイチイチ電話をして来て息子は夜中の2時でも自転車で飛び出して行ったり タイ人が休みの日は休みで「どこか連れて行け」だの「アレが欲しい!!買い物に連れてけ!!」だのワガママ言いっ放し…
俺が見ても彼が疲れきっているのが分かりましたが… 俺は俺でメンバーが少なくなった店を営業するのが結構シンドかったです…

更に追い討ちが… 花博が終わる頃にTGが名古屋 栄でタイ料理店を出すコトにその為 今度はナンファー店主がタイに修行に行くことに… これを機に2人はタイ料理へと転向… 俺はAIUEO本体に残るという図式ができました…

そして「タイ料理店をやる前に1回みんなでタイに行くか?」というコトになり みんなでタイへ…
その時に俺のタイ好きが開花しました( ̄▽ ̄)笑

もう メッチャ楽しかったですね~( ̄▽ ̄)笑

食べ物も今まで食べたコトない物ばっかり

もうどハマりしました…

そして名古屋 栄 住吉通りにタイ料理店「クッキ ヌードルズ」が開店… そして「愛知万博」もスタート
愛知万博は浜名湖花博と違って大盛況!!
タイ好きがスパークした俺は何とかタイとの繋がりを持っていたくて自分の休みの日に無償で万博に手伝いに行ったり独学でタイ語を勉強し、又 クッキ ヌードルズで働くオカマのタイ人を俺の家に下宿させたりした(幸い俺はヤツの趣味ではなかったみたいなので無傷です 笑)… 自前のタイシルクのシャツを着て(この辺にタイ好きが伺える笑)ココナッツジュースやパイナップルキャンディを売りまくり 今まで不良在庫化してたこの商品を「俺が行ったら在庫が無くなる…」という状態にまでして あまりに俺が売りまくるのでタイ側の責任者が「タダで働かしては申し訳ない…」というコトでアルバイト代が出るコトに
愛知万博はホントに楽しませてもらいました…

そんなオレ達3人に第2の転機が訪れます。

まず、前回の話しの通り俺がイタリア行きを決意します…

正直俺は 色んなコトが起きる そしてできるAIUEOのシステムが楽しかった… そしてオーナー ママさんも「オレ達3人の中でヤル気のあるヤツにAIUEOを継いでもらいたい…」そんな話し迄 出ていた…

しかし俺はイタリアに魅せられてしまった…何としてもイタリアに修行に行きたかった… 「自分の人生を変える又とないチャンス」だと思った…

そして もう1つ俺が引っかかっていたのは オーナーやママさんがいかに「オレ達3人の中でヤル気のあるヤツ」と言えど本心は息子に継いで欲しいだろう…飲食業を全然やっていないと言うなら話しも分かるが 実際やっていて腕もアイデアもある… なのにわざわざ他人に継がせることなどないだろう… オーナー ママさんにしてみれば 「オレ達2人にもチャンスを与えてくれた..」というコトだろう…

そして俺は息子に電話をして「実は俺イタリアに行こうと思う…オーナーとママさんだけでは店を回すのはムリだと思う… 悪いけどコッチに戻って来てくれんかな?」と伝え息子は「分かったチョット考えさせてくれ」とだけ言った…
次の日の朝 ママさんから「なんか昨日イキナリ息子から電話かかってきて 戻って来るって言うんだわ~ どうしたんかね…」と…

俺は「スマンな… ありがとう…」心の底から思った…

そして俺はAIUEOを退社してイタリア行きの資金とイタリア語を勉強する為に1年間違う仕事をするコトに…

そして次はナンファー店主の彼に転機が…
「クッキ ヌードルズ」はAIUEOだけでなくヨソの会社との合同出資でそことの折り合いが悪くなってしまった…
今更なコトだしこんなとこで悪口も言いたくないし ドッチがワルイというのも判断つきかねるのでそこは割愛しますが、クッキ ヌードルズは閉店するコトに…彼にとっても決断の時が来てしまった…

そして彼が取った道は「独立 開業」
こうして奇しくも俺がイタリアに旅立つほぼ同時期に愛知県西尾市に「タイ料理 ナンファー」を開業することに…

こうしてオレ達は各々違う道を歩み出しました…

そこからなんだかんだで俺はイタリアに6年いたワケですが なんだかんだで1年に1回は日本に帰ってきててその度に2人に会いに行ってたんですが…
3年目当たりから「いつまでイタリアおんの? 帰ってきて早よ開業しや~」と結構言われ続け…(笑) 俺の中にも「俺の店で俺の料理で勝負したい」という気持ちと「イタリアにずっと居たい」という両方の想いに揺れ動くコトになりますが、
「自分の店を出したい」という気持ちにウソは無かったので「自分だったらこういう店をやりたい」というコンセプトやメニューは常に考えていましたし「Ristorantino SUSCI」という店名はイタリア在住2年目で既に決めていました。

そして6年後やっと帰国した時に偶然ナンファーが西尾市から名古屋市に移転すると…
そして店の片付けを手伝いに行った時に…もうガラガラの店を見て 「何か勿体無いな…俺が後 やろうかな?」とふと思ってしまった… そこで資金集めを開始… 俺にとって最大のネックだったのがイタリアに6年いたコトでの「日本での信用の無さ」でしたが 幸い俺が帰ってきた2ヶ月前から融資の条件が緩和され 「日本での信用の無さ」を逆手に取って「イタリアでのハク」にすり替えた…

そうなってくると自分のやりたいコンセプトは西尾市ではなく やっぱり名古屋市だったので 名古屋で店探しを開始… 西尾市の店は申し訳なかったが俺に開店のキッカケを与えてくれたのは間違いなく彼だ…

彼に開店におけるアドバイスをもらい又 息子には業者を紹介してもらったり 夜中遅くまでメニュー作りや買い出し… そして最大は色んな買い出しの為に3人でタイへ…(笑)

「何でタイやねん!!」と思われるかもしれませんが タイって兎に角物が安いんです!!
最大の収穫はコイツ!!

今やウチのシンボルと化してますが「タイ製」です

そして2人の助けもあって 何とか開業に漕ぎ着けたワケです…

ハッキリ言って2人が手伝ってくれなかったらオープンできなかったし そもそも「開業」してなかったと思う…

俺達3人性格はバラバラだけどだからこそお互いの持ち味があると思う…

そして何より近いが故に「負けれん…」
という思いがある…

身近にこういう2人がいるコトは俺にとって本当にありがたい… 情報も交換できるし 自分への戒めにもなる…

何より「お互いを高めあって行ける…」2人がどう思ってるかは知りませんが(笑)

オレ達3人なかなか全員曲者ですが結構
「無敵」
だと思ってます

10数年の時を経て奇しくもオレ達全員「経営者」
となりました…

タイトルに戻すと 俺の中で「友達」というのはただ単に遊んだり飲みに行ったり楽しいコトを共有するだけでなく 辛い時… 困ってる時… 何も言わず助けてくれるヤツら…
そして時には「強敵」と書いて「とも」と読む
北斗の拳的な…

「仲間」と呼べる連中が俺にとっての「とも」です…

まあ そう呼べる連中に出会えたコトが俺の人生の収穫でしょう… 今なら親父の言ったコトが分かりますわ…

名古屋で本物のタイ料理が食べたい方は
「バンコク酒場 ナンファー 東桜本店」へ…
https://m.facebook.com/nf240

創業36年 大盛り創作料理が食べたい方は
「店麺多房 あいうえお」へ
http://www.e-aiueo.com/

そしてイタリアンが食べたい方はもちろん当店…「Ristorantino SUSCI」へ…

三者三様皆様のお越しをお待ちしております。

決意…

どうもRistorantino SUSCIのスッシーです。

ブログを開設して前回の投稿は挨拶だったので
今回が実質1発目の投稿になります…
正直何をアップしようか迷いました… ネタがありすぎて…
店のコトにしようか… イタリアのコトにしようか… 色々考えた挙句 もう最初っから行くコトにしました…
なんで俺がイタリアに修行しに行くコトになったか… その「決意」を…
2006年 当時俺は「Ristorante AIUEO」(現在 店麺多房 あいうえお)というお店でお世話になっていました。

http://www.e-aiueo.com/

このお店は1号店は塩釜口の名城大学の麓にあって 今創業36年 名古屋でも老舗のお店で今でも年に何回かテレビに出てます。
俺は平針にある2号店でお世話になっていました。
スタートが学生相手で写真の通り「大盛りメニュー」が主体で 又オーナー ママさんの人柄…スタイルでかなり変わった店でお客さんが多くて仕事は結構キツかったけど 自由に楽しく仕事をさせて頂き俺の料理人としての原点は紛れもなくこのお店です。

そんなある時「一応イタリアンというカテゴリーの店で働いているなら1回イタリアに行って本当のイタリア料理を食べてこい」というコトになり
最初はよくあるツアーで行くつもりでしたが…
俺の母親の知り合いの親戚の方の友達(メッチャ遠い関係…笑)の方がローマの郊外でペンションをやっていると… 「折角行くならツアーで行くよりイタリアに住んでる方の所に行った方がいいな~」と思い その方を訪ねて行くコトにしました…
それが「Villa Kiara」という施設です

ベッドルームもたくさんあってプールもある… 最初見た時「マジかここ…」って本気で思いました…
しかし ホントの「マジか…」は建物ではなくオーナーの「トキコさん」でした…

写真中央の方ですが(残念ながら3年前にお亡くなりになってしまったんですが そのくだりはいずれ…) 一応(笑)純日本人で北海道出身の方で俺を紹介して頂いた方と20歳の時に初めてイタリア旅行をしてイタリアに魅せられイタリアに移住 それでイタリア人とご結婚され旦那さんのお母さんの影響で料理やイタリア文化に興味を持ち「イタリアに来る日本人のお世話をしたい」という想いでVilla Kiaraを造られたそうです…

このトキコさんが何というか とにかく強烈で
「こんな日本人おるんかい!!」と思いました
言いたいコトはズバっと言うし メチャメチャな行動力 その考え方生き方… 全てにおいて俺の考えを超越してる方でした…
そして食事に連れて行ってもらったレストラン…
後に俺がイタリアで1番最初に働くことになる店「La Mucca Golosa」に連れて行ってもらいました。

この断崖絶壁にある町の外側にあるカフェで「カプチーノ」と「唐辛子入りチョコレートケーキ」を食べている時… 大げさでなく…
時が止まりました..
今までの「アイウエオ」での生活に不満があったワケではなかったんですが…「この空気…雰囲気…食べ物… コレはイタリアで実際生活してみないと分からない…」直感で感じ 又 決めてはVilla Kiaraが「イタリア中の数十のレストランとコネクションを持っていて料理人を派遣できる」
コレが自分の中で1番大きかった…

こうして10日余りをイタリアで過ごし 日本に帰る飛行機の中ではもう「イタリアに行く!!」コトを決意していました…

そしてオーナー ママさんに事情を話し アイウエオを退職… イタリアに渡りました…

その際に気持ち良く送り出してくれたオーナー ママさん 又 俺がイタリアに渡る為に店に引き戻してしまった息子には本当に感謝しています…

こうして俺のイタリアでの生活が始まりました…

ココから怒涛の生活が始まります…

続きは 次回で!! Ciao alla prossima!!

ブログ開設!!

皆さま 初めまして愛知県名古屋市でイタリアンレストランを営業しております「Ristorantino SUSCI」(リストランティーノ スッシー)です。
当店にお越し頂いたことのない方の為に軽く自己紹介を…
肩書き自称「世界一ローマを愛する男」ローマを中心にイタリアイタリアで5つの州10のレストランで修行して参りました。
一昨年の12月にイタリアより帰国日本して昨年の6月に自分の店をオープンナイフとフォークさせるという 結構無茶なコトをしました
元々語ったり何か書くことは好きなのでイタリアにいた時からブログをやりたかったのですが いつ日本に帰るか分からない状況で日本に帰ったらそんなにネタが出てくるか自信がなかったので結局イタリアにいる時はやらずじまいだったんですが 一応晴れて自分の店を開けたので 「まあネタも何とかなるだろう…」という思いで始めることにしました…
自分の店のコトだけでなく 溜まりに溜まったイタリアネタも並行してアップして行きたいと思いますので 皆様よろしければコレからお付き合い頂きたいと思います。